大雨の被害相次ぐ

六十数年前のことだ。家の上手にあった村の貯水湖だったのだろう池が溢れて村を大水が遅い、祖母と腰近くまであがった雨の中を逃げた記憶がある。

 

伯父の家に辿りついたら、雨戸もなにもかも飛ばされた家の中で、伯父夫婦と従姉妹たちが固まって抱き合っていたのがシルエットになって見えた。

多分その時怖くて不安で祖母にしがみついていたか、もしかしたら泣きわめいていたかもしれないのに、そういう感情がひとつも思い出せないのだ。

 

でも、76歳になった今、自分の人生の中の不運として脳裏に乾いて張り付いている感覚がある。やはり、恐怖や絶望感だったのだろうと思う。

 

三歳の時、戦争末期にB29を逃げまどい、祖母の背にくくられ防空壕に入ろうとして、私の頭が狭い入り口にあたり、防空壕の上に積み上げていたトタンだったか板だったか、とにかくそれに逃げ口を阻まれ、祖母は私を背負ったまま後ろに倒れ、その真上近くをB29が飛んで行った。

隣の家におとされた焼夷弾の火の手が空を染め、私は胸を破裂させそうに泣きに泣いていたのを覚えている。

祖母が、「泣くなっ、敵に聞こえるーっ!」と恐ろしい声で怒鳴った生々しい記憶も残っている。

これらの記憶は、「風のむらからさわこ」という児童書に書いて汐文社さんから出版された。私のはじめての本であった。

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台風の雨に襲われた記憶と、防空壕の入り口でB29を見上げて泣いていた二つの記憶が、私の中の、「もっとも強い社会的恐怖」だったのだと思う。