大雨の被害相次ぐ

六十数年前のことだ。家の上手にあった村の貯水湖だったのだろう池が溢れて村を大水が遅い、祖母と腰近くまであがった雨の中を逃げた記憶がある。

 

伯父の家に辿りついたら、雨戸もなにもかも飛ばされた家の中で、伯父夫婦と従姉妹たちが固まって抱き合っていたのがシルエットになって見えた。

多分その時怖くて不安で祖母にしがみついていたか、もしかしたら泣きわめいていたかもしれないのに、そういう感情がひとつも思い出せないのだ。

 

でも、76歳になった今、自分の人生の中の不運として脳裏に乾いて張り付いている感覚がある。やはり、恐怖や絶望感だったのだろうと思う。

 

三歳の時、戦争末期にB29を逃げまどい、祖母の背にくくられ防空壕に入ろうとして、私の頭が狭い入り口にあたり、防空壕の上に積み上げていたトタンだったか板だったか、とにかくそれに逃げ口を阻まれ、祖母は私を背負ったまま後ろに倒れ、その真上近くをB29が飛んで行った。

隣の家におとされた焼夷弾の火の手が空を染め、私は胸を破裂させそうに泣きに泣いていたのを覚えている。

祖母が、「泣くなっ、敵に聞こえるーっ!」と恐ろしい声で怒鳴った生々しい記憶も残っている。

これらの記憶は、「風のむらからさわこ」という児童書に書いて汐文社さんから出版された。私のはじめての本であった。

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台風の雨に襲われた記憶と、防空壕の入り口でB29を見上げて泣いていた二つの記憶が、私の中の、「もっとも強い社会的恐怖」だったのだと思う。

雨上がりの荒れ庭を眺めつつ

ameblo.jp

 

このアメブロは福島に給餌に通い出した時から使っている。

継母の介護が始まったり、自身が急性心筋梗塞で倒れるなどすっかり弱ってしまい、2018年7月の現在は、継母の自宅介護と、同居する猫犬20匹、森の猫数匹の世話、そして自分の病院通いなどの暮らしになっている。

 

こうした今日の空になった穏やかな日々である。

 

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四年前の春に撮った荒れた庭にいるオリョウ。

2018年の7月現在は、オリョウもほかの犬たちも、”猫の家犬の庭”にいる。

他界するまで夫もいた、徒歩1分のもともとの我が家である。

5年前に継母が脚を骨折したのを機に私が介護を引き受け、でももともとの

家は猫の家犬の庭だから介護に不向きで、それで空き家だったこの家を

”介護の家”とした。

花々の咲き乱れる整った庭になるはずだったが、20匹を超える動物たちの

世話と当時93歳で今は98歳になったおばあちゃんの自宅介護はなかなかの

もので、庭は荒れ放題となっている。(笑)

 

昨夜からいい雨だった

からからに乾いていた我が荒れ庭にも雨が降り、今朝の紫陽花たちの清々しさ。

今日から明日までおばあちゃんがショースティに行って留守。
この二日間で疲れを癒したいな。

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写真は車椅子に乗った夫と散歩する時、必ず潜るようにして見上げた空。
見上げたまま歩いていくと、いつかこの空に二人で行きつくという感じがあった。
夫は震災の前年の正月が過ぎたばかりの朝に、一人で逝ってしまった。

新たに作り直した

少し書いていたブログ、ほったらかしていたらID、パスワードがわからなくなり、新たに作り直すはめになってしまった。

 

思えば、はてなブログはいくつか作って結構真剣に記事を書いてきた。

ホームページもそうであった。

今はこうやって何気に書いていくものだってそれなりに自分には価値のあるもので大切にしておいたほうがいいことだったと思うのだが、ネットをはじめた頃は実に不実に書き散らし飽きればすぐにやめていた。自分の生き方と人間性はそういうことだったのだ、と悲しい気すらする。ま、いいか。そうだったんだから仕方ない。

 

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夫が通っていたディサービスの施設の隣の鉄工所にいた六匹の子犬のうち、

四匹を引き取って我が『猫の家犬の庭』の家の子になった。

やがて東北のそれは素敵なご家族に貰われていった”小梅ちゃん”。

写真は別れの日、宇都宮駅で、最後の別れを交わした小梅ちゃんと私。

その場で胸が張り裂けそうになるほど心で祈った。

「元気でね。みんなに愛されて幸せになるんだよ。忘れないよ」

・・・あの日から十数年が過ぎ、2018年5月に天に戻っていった小梅。